PR

20240331緘黙は遺伝なのか

カメムシたちが出没する

妻の実家で一晩を過ごしました。

改めて今日また書く必要はなかったけど

あまりにもしんどかったので

書いちゃいました。


布団を畳んで朝ご飯を食べて

一息ついてた時に、

お義母さんから

妻が保育園に通う頃に先生から渡された という連絡メモを見せてもらった。

『今日は○○(妻)ちゃんがお友だちと一緒に遊んで、言葉も発していましたよ。

「初めて喋ったね」と思いましたが言葉にはせず、見守りました。』

的な事が書かれてた。


めいさんの場面緘黙のことは

お義母さんお義父さんにも(妻から)話をしてて、

その時に 妻も子供のころは そんな感じだった とは聞いてたけど

まんま めいさんと同じ感じだったんだなーって

今回の連絡メモを見て改めて認識。


と同時にすごく安心した。

やっぱり小さい頃は難しくても

成長する過程のどこかで

改善する可能性ってあるよね、ってことも

再認識できたから。


後から聞いたんだけど、

同じように みんなの前で喋れなかった妻を

幾度となく助けてくれたのは

家が隣同士だった同級生の みきさん というお友達だったとか。

学校で「フルーツバスケット」をしてて

鬼(?)になった時も

みんなに聞こえる大きな声を出すことが出来ない妻の元に

ササっと寄ってきてくれる と。

んで妻が みきさんに耳打ちして

みきさんが大きな声で発してくれる と。

なんと優しい みきさん。

これは1つの例だけど、こういうのが多分 山ほど あったんだろうな と思う。

みきさんとはよく遊んでた とは聞いてたけど

こんなにお世話になってたとは。

ありがとうございます。


めいさんや はるさんにも こんな素敵なお友達がいてくれるといいなぁ。

誰かにとっての こんな素敵なお友達でいてくれるといいなぁ。


かく言う おれ自身も全く社交的ではなく、

恥ずかしい気持ちが大きくて

人前で自分を表現したり

人と話たりするのはすごく緊張しちゃってた。

ハッキリとは覚えてないだけで

その実、妻や子どもらと同じように

緘黙症だったのかもしれない。

今度両親に聞いてみよう。


学校の発表会的なイベントで

決められた役目、台詞、歌とかをこなすのは

そこまで抵抗なく

寧ろ手を挙げてやらせてもらってた事もあったんだけど

自分自身の考えや言葉を人に伝えるのは

大勢だろうが極少人数だろうが とても苦手だったなぁ。

というか今も苦手。

自分の考えなんか無いよ! 聞いてくれるな! って。

(ブログ書いとるくせに何言ってんだ、かもしれないけど)


妻の実家を後にして、自分の実家にも寄った。

古いVHSが見つかったとのことで

少しみんなで一緒に見たんだけど、

小学6年生のおれは 学習発表会のミュージカルで

前の方で歌って踊ってた。


めいさんも年長時の発表会では

一人で台詞も言えてたし

歌ったり踊ったり十分出来てたことを思い出して

また嬉し泣きしそうになった。


ほんと先生方やお友だち、妻に感謝。

ありがとうございます。

なんかいつもよくわからんブログの終わり方してしまうな。

ま、いいか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました